平成30年(2018年)北海道宅建協会 会長に就任。令和元年(2019年)廣田一郎が4代目社長になる。
昭和29年(1954年) | 初代社長「生野梅洲(いくのうめくに)」が「みたか商事」を起業。 |
昭和30年(1955年) | 宮の森の土地分譲を手掛ける ※北海道の土地分譲は第一号 |
昭和34年(1959年) | 岩見沢の東山団地の区画整備事業に基づいて町づくりを完成。※民間不動産業者としては北海道初 |
昭和38年(1963年) | 不動産総合商社として多角経営方式を採りはじめる。 |
昭和42年(1967年) | 北海道宅地建物取引協会の設立に尽力。 ※S42.10~S46.1まで初代の札幌支部長 |
昭和44年(1969年) | 住宅金融公庫融資付マンションの建設をはじめる。※民間不動産業者で日本初 |
昭和52年(1977年) | 生野梅洲の急死により、妻の「生野敏子」が2代目社長になる。 |
昭和57年(1982年) | 初代社長の三女(美貴子)の夫、「広田聰(ひろたさとし)」が3代目社長(現・代表取締役)になる。三和銀行に13年間勤務していたが、初代社長の社訓「住まいの条件は環境・設備そして創るものの心と行為にある」に思いを馳せ、社会に役に立つ不動産会社に発展させたいと決意。 |